輝きだけを残して

虹のような日々は終わらない

大好きな小山くんの結婚

完全自己満お気持ちブログ

 

自分のために残しただけなのであまり人に読まれる想定で書いてないけど、大前提として、私には祝福の気持ちしかないです!

だから少しでも寂しい気持ちだったり怒りたい気持ちがある人は、どんなに私と仲良くしてくれていてもみないほうがいいかも!!お互いのためにね!

 

 

 

 

 

 

 

小山くんが結婚した!!!!!

悲しいかなと思ってたけど、あまりにも無傷すぎて自分でもびっくり。

12歳の時から好きだった男が結婚したら、恋愛対象枠じゃなくても普通にショックじゃない?

私は昔から、どちらかというとアイドルが結婚することに対して否定的だった。

もし結婚しても絶対に存在をほのめかすようなことをしないでほしいと思っていたし、そもそもアイドルという仕事を選んだ時点である程度のことは覚悟してるんでしょ?というような考え方だったの。

まぁこれは全部「自分が無傷でいられる外野としての意見」だったことが発覚したんだけど。

そんな価値観で生きてきたから、もし小山くんが結婚したら、祝福の気持ちよりも悲しみや怒りのほうが上回るかなぁ、と思いながら過ごしてた。

そうなっても、マイナスなことは全部心にしまって、小山くんにはおめでとうだけを伝えられたらいいなって。

せっかくSNSで簡単に好きを伝えられるのに、それを伝えてた人が急に攻撃しだすのは怖いし、私の中のおたくポリシーに反するからね。

しげちゃんの発表を思い出しながら、

「ついにグループから既婚者が出たか」

「小山くんだったら心から祝福できないかも」

「本人たちの望む未来に全力でついていきたいな」

とかぼんやり考えつつ仕事してたら姉から「生きてる?」ってLINEが届いて。

何事かと思いながらもなんとなく察して、メールの受信ボックス覗いたら案の定お知らせが届いていて。

なんのためらいもなくサイトにアクセスして、なんのためらいもなく文章読んで。

純粋に「おめでとう」「嬉しい」っていう気持ちが出てきた自分に驚いた。

今はまだ理解が追いついてないのかも?時間が経ったら急に寂しくなるかも?って心配になったりもしたけど、夜になっても1日経っても3日経っても、おめでたいな〜最高だな〜としか思わなかった。

前から結婚するなら小山くんが最初だと信じて疑わなくて、報道が出た時も「この相手であってほしい、どうか○○だけは...」っていろんな職業を当てはめて頭抱えてたから()相手が変わってなくて安心したのもあるかな。

私は相手のこと何も知らないけどある程度構えてた部分はあるし、そもそも文句言える権利ないし。

 

あとはタイミング?

結局自己都合だけど、今だったから純粋におめでとうを伝えられているのかもしれない。

実は、小山くんが結婚発表する数日前にプロポーズされて。

人生順調で最高!この世界で1番の幸せ者は私!とか思ってるお花畑真っ只中での小山くんの結婚発表だったんだよね()

私は結婚というものに夢を見続けていたから、小山くんも同じように浮かれた気持ちかな、なんて思ったりして。

なんだかんだ、いつだって自分が1番だから。

小山くんのことで悲しむ時間よりも、自分のことで喜ぶ時間のほうが圧倒的に大事だった。

小山くんが私の人生において必要不可欠で生活の一部になっているのはもちろんそう。

生活の一部どころかもはや酸素みたいで、いないことが想像できない。好きなところ聞かれてもパッと答えられないし、なんでそんなに長く好きでいられるのって言われても分かんないぐらい自分に馴染んじゃってる。無意識で紫選んで、会社の知らない人にも「紫の子」って言われたり。趣味は国内旅行って言ってるけど、ほとんどが遠征だし。

小山くんを応援していない自分が考えられなくて怖いとすら思う。

人生の優先順位で好きなものを1番にするのはとっても素敵ですごいことだし、私が小山くんを最優先にしていた時期も、気付かないだけで絶対あった。

高校生のときだったら学校休んでたと思うし、大学生のときだったら怒ってた気がする。

あらゆる写真が出回ったときなんて大荒れして「いっそのこと整形してそういう店で働くかそういう活動して小山くんと繋がればいいんだ」とか言ってたし()

そうやって、形は変わりつつも小学生の頃から小山くんを応援し続けてきた中で、常に「小山くんがアイドルやめても自分の人生は続く」って言い聞かせながら生きてきたことが、私にとっては正解だったなと思う。

そのおかげで、心から祝福できた気もする。

 

好きになったあの日の小山くんも、今日の小山くんも、私にとっては大好きな小山くん。

「アイドルならこうあるべき」って好き勝手にルール作って騒がれても知ったこっちゃないし、私にとってのアイドルは加藤シゲアキでも増田貴久でもなく、他のグループの誰でもなく、NEWS小山慶一郎だった。

理想のアイドル像なんておたくの数だけあるんだから、全員の理想通りのアイドルやるほうが無理だと思う。

私は今回の発表で、アイドルが「結婚していないこと」は条件じゃなかったことに気が付いたけど、きっと代わりの条件があって、私が求める理想にたまたま小山くんが合致した。

月日が経っても、いろんなことがあっても、変わり続ける私の理想と、変わり続ける小山くんの姿が運良く重なり続けた。ただそれだけのこと。

だから、いつか何かのきっかけで理想じゃなくなったり、どうしても譲れない条件に小山くんが当てはまらなかったりしたら、そのときが応援するのをやめるときなんだと思う。今はそんな予兆ないけど!

 

 

「ファンだったら寂しい」「ファンがかわいそう」って言われるなら、私はファンだと思われなくていい。

「同じ土俵に立つな」の言葉を忘れずに、愛が広がった暖かくて優しい世界で幸せに過ごすだけだから。

 

小山くん、結婚おめでとう!

 

 

ウェディングフォト見せてくれたら

大喜びするよ!!!

4535日目に思うこと

私事ですが、5月29日で25歳の誕生日を迎えました。

周りは「もう若くない」「誕生日が嬉しくない」なんて言っていますが、まだまだ若いし誕生日は嬉しいイベントです。

去年も今年も緊急事態宣言中のお誕生日だけど、健康でいられることに感謝。

小山くんの誕生日はブログ書かないのに自分の誕生日にブログ書く女ですみません......

さて。

2008年12月28日、マリンメッセでみた小山くんは24歳でした。

あの日みた小山くんの年齢をこえました。

気付いたら、人生の半分くらい小山担です。

12歳だったあの頃、私にとってのNEWSはかっこいいお兄さんの集まりで、世の中にいる10代後半〜20代くらいの男性はみんなこんな感じなんだと思っていました。というかこれくらいの年代の男性はジャニーズしか知らなかった。

大人に近付くにつれ、今の私は誰々がこんなことをした年齢だなぁって考えながら過ごすことが増えてきて。デビューした年齢とか、東京ドームに立った年齢とかね。

一般人と芸能人なんだから違うのは当たり前なのに、「今の私の年齢のとき、小山くんはこんなことができていた」と悲しい気持ちになることもありました。

自分には何があるのか、何ができるのか、この先どうなっていくのか。

NEWSというアイドルグループを、小山慶一郎というひとりのアイドルを応援している。それだけのことだと思っていたのに、気が付いたら小山くんは私の深いところまで入ってきていて、自分の人生と小山くんを切り離して考えることが難しくなっていました。

だけど、そのおかげで私は大嫌いだった自分と向き合うことができたし、憧れだった大学生になることもできたし、各地にたくさんのお友達を作って、今こうやって毎日楽しく過ごせています。

その事実だけで、小山くんを応援してきて良かったって思えます。

まだ好きなの?なんて言われることもあって、まだ好きじゃだめなのかなぁって思ったり。

ジャニーズと付き合いたいんでしょ?と笑われたり。

どこがいいの?と聞いてくる人とは距離を置いたり。

小山くんのファンをやめていたら、もっと早く彼氏ができていたのかなとか、他の趣味も見つかったかなとか、いっぱい貯金できたかなとか思ったこともあるけれど。

小山くんが好き、小山くんを応援したいと心に決めた日から4535日。

今日も、好きの気持ちだけで過ごしていたい。

余計な感情は何もいらなくて、ただただ、自分が好きな人だけを信じていたい。

小山くんのことを考えているときの私は、いつだって幸せな気持ちだから。

私が37歳になったら、25歳の時を思い出して「あのときは楽しかった。でも今はもっと楽しい」って思えたらいいな!

これまでもこれからも

36歳のお誕生日おめでとうございます。

ケーキは食べましたか?

メンバーから連絡はありましたか?

 


今日、どんなことを考えて過ごしていましたか?

 


本当だったら大阪で、メンバーとファンで

小山くんの36歳をお祝いできるはずだった。

ずっと楽しみにしていた、

12年に1回しかこない年男の小山くん。

 


純粋な気持ちで今日という日を祝えない

わがままな私を、どうか許してください。

 


おめでとうを伝えるために準備していた

作りかけの団扇を早く会場で持てますように。

35歳最後の小山くんにも

36歳最初の小山くんにも会えなかったけど、

今年も1年笑顔で過ごせますように。

 


お誕生日おめでとう。

生まれてきてくれてありがとう。

今日もアイドルでいてくれてありがとう。

明日からも小山くんのことが大好きです。

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5月1日の夜投稿しようと思って

こんなことを書いた4月30日。

あと1時間といって35歳最後の姿をみせてくれた。

日付が変わったら、

メンバーからのお祝いメッセージに喜ぶ

小山くんの姿を見ることができた。

自分の誕生日なのに自分以外のことを願う

いつもと変わらない優しい小山くんだった。

 

時間をみながらもう少しとそわそわしていたとき、

同じように日付が変わるのを待っていた小山くん。

チョコレートケーキを用意して、

36歳になったよって伝えてくれた。

やっぱり今日も、心の距離が近かった。

 

早く、大きな声でおめでとうを

伝えられる日が来ますように。

 

1番幸せになってほしいあなたへ。

 

普通でいること

私は今日、大学生では無くなった。

それはつまり、学生という枠から外れて社会人になるということで。

今まで「学生だから」で何となく許されていたことが許されなくなる。

身分証明に学生証を出すことができなくなる。

1ヶ月や2ヶ月という長期休暇はやってこない。

 

「普通」の大学生でいられる時間が大好きだった。

そして、「学生」という身分が大好きだった。

この二文字があるだけで無敵だと思っていた。

何をするにも「学生」ということが私の背中を押してくれた。

 

私が大学生になりたいと思ったのは中学生のときで、

「大きな教室で授業をうけたい」

「学食をたべたい」

「屋上で友達とおしゃべりしたい」

そんな漠然とした大学へのイメージと、

「小山くんの後輩になりたい」

という理由だけで、大学への憧れが膨らんでいった。

 

だけど、大学生に憧れを抱いていた中学生の私が教室でみんなと授業を受けたのは1年生の1学期だけだった。

厳しい校則、可愛くない制服、同じものを食べなければいけないことへの嫌悪感。

3年間、一度も中学校という場所を好きになれなかった。

小学生の時から「中学3年間を飛ばして高校生になりたい」と思っていた私には、通信制高校しか選択肢がなかった。

 

自分で決めた高校は、可愛い制服を着てローファーを履いて、文化祭や体育祭があって。私が思い描く高校生活そのものと言っても過言ではなかった。

毎日楽しくて、大好きな場所だった。

 

けれど、私は普通の高校生活を手に入れることができなかった。

どこの高校に通ってるの?と聞かれても素直に答えられなかった。

週に3回しか学校に行かない私と違って、みんなは当たり前のように毎日、平日どころか土曜日も学校に行っていた。

同じ制服で修学旅行の写真を撮っていた。

私が中学生のときあれほど嫌だと思っていたことが、何故か、羨ましくなっていた。

みんなと同じが大嫌いだった私は、いつの間にかみんなと同じことを欲しがるようになっていた。

普通が1番難しいということを実感したのは、このときが初めてだった。

 

私が普通になる方法は、大学生になることだと、そう思った。

高校1年生のとき、担任の先生に「私は大学生になりたい」と伝えたら少し驚かれたけれど「今からそう思っていたらなれるよ」と言ってくれてすごく嬉しかったのを覚えている。

しかしそれと同時に、小山くんの後輩になることの難しさを知った。

小山くんが4年間過ごした大学は、義務教育もまともに受けていない私が単純な理由だけで進学できるような大学ではなかった。

それでも私は小山くんの後輩になりたかった。

小山くんの後輩になれば、自分の中にある劣等感はなくなると思った。

週に3日しか授業がなくても、平日の5日間は毎日高校に通うようになった。

昼休みも放課後も職員室に行って、友達との時間よりも先生との時間を優先させた。

毎日22時までコワーキングスペースで過ごした。

 

私は小山くんの後輩になった。

13歳のときからあこがれ続けてきたことが、現実になった。

夢が叶った。

 

与えられたのは4年間という限られた時間だった。

写真サークルに入った。

第二外国語で韓国語を選んだ。

友達の誕生日にケーキを作った。

2人の男性を好きになった。

朝まで中身のない会話で盛り上がった。

泣きながら電車に揺られた。

 

この4年間、私は確かに大学生だった。

電車で通学して、うとうとしながら授業を受けて、昼休みは友達と学食の油淋鶏を食べて、空きコマにはサークルのボックスでお昼寝をして。

朝5時の歌舞伎町を歩いたことも、一睡もせずにバイトに行ったことも、リクルートスーツを着てプリクラを撮ったことも、全部大学生の私がしたことだった。

気付かないうちに、思い出せないほどたくさんの思い出ができていた。

 

小山くんを好きになっていなかったら、きっと同じ大学を目指していなかった。

大切にしている友達と出会えなかった。

それどころか大学生にもなれなかった。

小山くんが、私を普通にしてくれた。

私が求めた普通の大学生が何なのかは分からない。

けれど私は確かに普通の大学生だった。

 

たいした資格も取らず、バイトに明け暮れることもなく、海外にも興味を持たず、周りからみてみればつまらない4年間だったのかもしれない。

それでも、私にとっては嫌になるほど求め続けたものだった。

ありふれた大学生のひとりになることができて、本当に幸せだった。

 

そんな4年間が終わってしまった。

自分が学生ではなくなることを受け入れられないし、社会人になる準備もできていない。

明日の朝、4年前に戻っていればいいのにと思う。

それくらい、私にとって最高な時間だった。

人生で1番たのしい4年間だった。

 

 

 

 

小山くん、私を普通にしてくれてありがとう。

 

 

今週のお題「卒業」

 

大好きな人へ

2018年12月28日金曜日


小山慶一郎くんを好きになって、今日で10年が経ちました。
小学6年生の時DIAMONDの福岡公演に入って10年、私はもうすぐ大学生活を終えようとしています。
自分自身はもちろん、NEWSにも小山くんにもたくさんの出来事が起きた10年という間、私の中から一度も消えなかった「NEWSの小山慶一郎が好き」という気持ちをどこかに残しておきたくて、このブログを書くことにしました。
ここには楽しかったことだけを書くので、あらゆる事にはあまり触れないつもりです。コンサートと舞台の楽しかった思い出だけを残すため、ただのファンサ自慢ブログになってしまうかもしれません。


私は最初、増田さんのファンでした。NEWSがデビューするかしないかくらいの時期、私の将来の夢は「ケーキ屋さんになって毎日まっすーに美味しいケーキを食べてもらう」ことでした。我ながら可愛い。
コンサートにいっても増田さんばかりを追いかけて、この頃既に大学生だった小山くんのことは正直全く記憶にありません。

そんな私ですが、気付くと(多分2008年の夏頃)小山くんが気になっていました。母に「慶ちゃんが好きなんでしょ?」と聞かれても違うと嘘をついていました。
【DIAMOND】福岡公演2日目、私はRUSS-Kの服(小山くんが着ていた赤いチェックシャツ)でコンサートに行きました。目の前に小山くんが来たときのことは今でも覚えています。
私が小山慶一郎くんの担当になった瞬間です。
次の日、私は初めてたったひとりでジャニショに向かいました。コンサート翌日の混雑したジャニショに並んでいると、お姉さん二人組が声をかけてくれました。誰のファンなのか聞かれて小山慶一郎くんと答えたとき、なんだかすごく恥ずかしかったです。
そしてこの時に言われた「こんなに若い子がNEWSのこと好きでいてくれたらNEWSは将来安心だね」という言葉を忘れられません。あのとき声をかけてくれたお姉さん達は、今もNEWSのことが好きなのかなぁ…とたまに思い出します。
初めて「小山くんが好き」と声に出した日に買った写真は、数枚の増田さんと1枚の小山くんでした。どうしても母に言えなくて、この小山くんは衣装が好きだったから買ったんだ、と話したことを覚えています。


次に小山くんの姿をみることができたのは、【チャリティ野球大会】でした。15歳の誕生日、それは初めての遠征でした。好きになって初めて見る小山くんはキラキラの衣装を着ているわけでも、たくさん歌うわけでもなかったけれど、NEWSの小山慶一郎がそこに存在していることがひたすら嬉しかったです。
結局、コンサートにいけたのはそれからさらに1年たった2012年の夏、【美しい恋にするよ】です。
私は高校生になっていて、FCで外れた代わりに一般販売で奇跡的に取れたチケットを握りしめてマリンメッセ福岡に向かいました。
1番後ろから2列目の端の席で、ようやく小山くんの団扇を持つことができました。オープニングから泣いてしまったのはNEWSへの気持ちだけではなく、やっとコンサートに来れたという喜びの涙でもありました。アンコールのスタトロで目の前にきた小山くんが私の団扇に気付いてくれたとき、何の曲を歌っていたのか全く思い出すことができません。我に返ったとき既に小山くんは遠くに移動していて、私の左手にはサインボールがありました。
コンサートが終わった後、周りの方々が「よかったね」「団扇みて投げてくれていたよ」と言ってくれて、NEWSファンの優しさを実感しました。
その後は神戸と、神戸の次の日にはチャンカパーナのイベントにも参加しました。
会いに行けるだけ会いに行く。そう決めたのもこの頃からです。

そしてこの年、小山くんは舞台をしました。私が今でも再演してほしいと思っている【ハロー、グッドバイ】です。東京千秋楽翌日の朝、空港からそのまま高校にいったのもいい思い出です。もともと舞台をみることが好きだったので、大好きな人が舞台に立つことの喜びを知りました。
安吾くんがやってくれたtwitterには毎回リプを送っていました。グラタンがコロッケになったバーガーも食べたし、夜はおやすみのつぶやきを待ってから寝る生活でした。

2013年のツアーでは福岡と神戸に加えて名古屋にも行きました。
10周年の東京ドームの日、期末テスト2日前だった私は朝5時半にホテルの窓からみたグッズ列に驚いて、6時間近くテスト勉強をしながら列に並びました。前にいた方が、疲れちゃうから一緒に座っていいよとレジャーシートを使わせてくれました。
4人が愛言葉を歌ったとき、この会場の暖かさはNEWSにしか作り出せない空間だと思いました。

2014年、高校3年生の年、NEWSはコンサートをしませんでした。だけどそれは私にとって好都合でした。大学受験があったからです。中学1年生のときからぼんやりと思い描いていた「大学生になりたい」「小山くんの後輩になりたい」という思いを実現させるための時がやってきました。
受験が終わった日の夜、きっと小山くんの後輩にはなれないから大学に行く意味はないと、泣きながらホテルで専門学校を調べていました。
2015年の4月、私は東京で一人暮らしを始めました。12年前に小山くんがいた場所と同じ場所で、入学式に参加しました。
この年はきっと、私にとって最高の1年でした。

2015年といえば、みんな大好き【white】の年です。NEVERLAND、EPCOTIA、次はwhiteの再演だと思っています。
私は健康診断を抜け出して仙台に行きました。ずっと九州で過ごしてきた私にとって初めての東北遠征です。席は初めてのアリーナ。しかも最前。世の中にはこんな景色が存在するのかと衝撃を受けました。
その後行った城ホも初めてで、東京という土地の遠征のしやすさにひたすら感動していました。やっぱり東京はすごい場所だと。

whiteが終わってからはまともな生活を送ることに必死で、少しだけNEWSと距離を置いていました。このとき発売したチュムチュムの初回Bを買わなかった自分を今でも悔やんでいます。
もしかしたらこのまま、小山くんのことが好きだという気持ちはどこかに消えるのではないか。そんなことをぼんやりと考えていたときです。舞台【グレート·ネイチャー】が決まりました。
ハログぶりの舞台。私は東京に住んでいることに舞い上がって、いつ行こうかと授業中も公演スケジュールを眺めて過ごしました。
結果は全滅。あのときは4公演も入れたのに。ハログのことを思い出したものの、当日券に並べることに気付いた私は授業終わり毎日のようにグローブ座に通いました。
いつものように大きな番号をひいて家に帰ろうとしたある日、突然声をかけられました。女神様だと思いました。一緒に入るはずだった知人が体調不良で来られなくなったから1枚余っていると。席に着くと、半券は思い出にとっておいてねと言ってくれました。
優しさに包まれながらみた舞台は特別でした。何度お礼を言っても足りないと思いました。
それでも人間は欲深いもので、観劇できたというのにもう一度みたくなって、当日券に並びました。自分の目の前で終わった日もありました。
これで最後にしようと思った日、開演3分前に私は会場内を走りました。席につくとそこは前回「あの席に座る人は前世でどんな徳を積んだのだろう」と思った席でした。舞台が終わって、私は小山くんを応援することでたくさんの幸せをもらっている。ファンをやめることなんてできない。そんなことを考えながら、家に帰って久しぶりに実家から持ってきたDIAMONDのDVDを見ました。やっぱり、小山くんのことが大好きでした。

whiteのDVDが発売した2016年、大学の友達がNEWSファンになってくれました。ソファ落ち加藤担の誕生です。まさか一緒に遠征するほどNEWSのことを大好きになってくれるなんて、この時は思っていませんでした。【QUARTETTO】はそんな加藤担のために必死で探した東京ドームの思い出も大きいですが、この年私は20歳になりました。
ツアー日程が発表された日、20歳の誕生日にNEWSが広島でコンサートをすることに気付いて、それだけで泣きそうになりました。当日は、朝から福岡で予約していた成人式の前撮りをして、大急ぎで新幹線に乗りました。雨が降る中、何度も転びそうになりながら会場に入りました。オープニングには間に合わなかったけれど、あの日聞いたHAPPY BIRTHDAYは今までの誕生日で1番の思い出です。

そしてその翌年2017年、NEWSで始まった私の20歳の1年は、和歌山でNEWSと過ごして終わりました。突然きた制作開放席の案内。当選メールがきたのは授業中でした。友達の背中に隠ながら新幹線の時間を調べて、その日のうちに大阪の友人の家に行きました。
メンバーが横一列に並ぶと手前の人しか見えないくらい端っこの席は特別でした。
仙台では友達と遠征することの楽しさを思い出して、ごはんもとっても美味しく感じました。もともと東北が好きな私は、すっかり仙台が大好きな場所になりました。
オーラスに入れなかったのは悲しかったけれど、友達と駅に向かっているときにファンの歌声が聞こえてきて、とっても幸せな気持ちになりました。

あっという間に私は大学4年生になりました。就職活動が始まっていたので遠征は我慢しました。毎週末「この予定ならコンサートに行けたのに」と思いながらESを書いている時間が1番辛かったです。
埼玉までに就活を終えるという目標は達成できなかったけれど、受験のときと同じようにNEWSをモチベにしました。
味スタが発表されたことでNEWSが応援してくれているような気持ちになって、第一志望の会社に落とされてもURを聞いて乗り越えました。
入社を決めた会社の最終面接の日、味スタの当落が発表されました。面接会場に向かう直前にメールがきたので、結果を見ずに面接に挑みました。それは英断でした。
味スタに入れないかもしれない、NEWSの15周年をお祝いできないかもしれないと思っていたけれど、やっぱりファンの方が救ってくれました。2日間とも入って、NEWSの15周年を味スタでお祝いすることができました。
オープニング映像のケーキ、一曲目のBLUE、小山くんのメッセージ。その全てを自分で見て聞いて感じることができて本当によかったです。

15周年はすごいもので、味スタが終わったら来年かな、なんて話していたら次の月にドリフェス出演のお知らせをもらいました。
友達がチケットを当ててくれて、私は幕張メッセにも行くことができました。
NEWSが出てくるまでの時間にたくさんのアーティストをみたからかテンションはすごく高くて、NEWSが出てきた瞬間最高潮に達しました。
NEWSのファンではない方もいるはずなのに、コンサートで感じる空気と同じものを感じて、改めてNEWSの強さはこれだと思いました。
味スタでも聞いたはずのに、BLUEも「生きろ」もなんだか他の歌みたいに思えて、自分の中にあった支えが取れたような気持ちになりました。

そして今、【EPCOTIA ENCORE】を控えてこのブログを書いています。
EPCOTIA、Strawberry、ドリフェス。なんて幸せな15周年だったのだろうと思っていたのに、NEWSはまたデートの予定を伝えに来ました。しかも大晦日、年越し。もしNEWSが大阪でカウントダウンやってくれたらどうする?と言いながら予約したホテルをキャンセルせずに済むなんて。NEWSとNEWSのことが好きな人達だけで年を越せるなんて。どこまでファンを幸せにすれば気が済むんだろうとすら思い始めました。みんなが元気で京セラドームと東京ドームに行けますように。最近はそればかり考えています。

そしてそんな年の瀬に、私は小山くんを好きになって10年経ちました。
10年前の今日、まさかこんなに長く小山くんを好きでい続けるなんて想像していなかったです。
小山くんが好きという気持ちだけで大学受験も就職活動も乗り越えられるなんて誰が思ったでしょう。
楽しかった思い出だけじゃないのは当然そうだけど、どんなときでも小山くんは幸せをくれました。今だってそうです。アイドルを続けてくれています。
私は深いことを何も考えられないので、いつだって「小山くんかっこいいな、好きだな」という気持ちだけで過ごしています。それでいいんだと思っています。10年間、それだけで過ごしてきた私にとって、今更何か深いことを考えることなんてできません。それが私の応援の仕方です。

10年前、派手な髪色で襟足をのばして「ちゃらい」と言われていた24歳の小山くんを好きになったのは、世の中のことなんて何も知らないような12歳の小学生でした。
そして10年経った2018年の今。もうすぐ社会人になる22歳の私はあの時と同じように小山くんのことが好きです。
アイドルの見方も、曲の聞き方も、コンサートの楽しみ方も変わったけれど、小山くんのことが好きという気持ちだけは10年間変わりませんでした。
小山慶一郎くんを応援し続けた10年間は、私の学生生活の全てです。
ずっとNEWSの小山慶一郎でいてくれてありがとう。
小山慶一郎くんがアイドルでいてくれたから、私の人生は素晴らしいものになっています。

これからも、応援させてね。

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