輝きだけを残して

虹のような日々は終わらない

大好きな人へ

2018年12月28日金曜日


小山慶一郎くんを好きになって、今日で10年が経ちました。
小学6年生の時DIAMONDの福岡公演に入って10年、私はもうすぐ大学生活を終えようとしています。
自分自身はもちろん、NEWSにも小山くんにもたくさんの出来事が起きた10年という間、私の中から一度も消えなかった「NEWSの小山慶一郎が好き」という気持ちをどこかに残しておきたくて、このブログを書くことにしました。
ここには楽しかったことだけを書くので、あらゆる事にはあまり触れないつもりです。コンサートと舞台の楽しかった思い出だけを残すため、ただのファンサ自慢ブログになってしまうかもしれません。


私は最初、増田さんのファンでした。NEWSがデビューするかしないかくらいの時期、私の将来の夢は「ケーキ屋さんになって毎日まっすーに美味しいケーキを食べてもらう」ことでした。我ながら可愛い。
コンサートにいっても増田さんばかりを追いかけて、この頃既に大学生だった小山くんのことは正直全く記憶にありません。

そんな私ですが、気付くと(多分2008年の夏頃)小山くんが気になっていました。母に「慶ちゃんが好きなんでしょ?」と聞かれても違うと嘘をついていました。
【DIAMOND】福岡公演2日目、私はRUSS-Kの服(小山くんが着ていた赤いチェックシャツ)でコンサートに行きました。目の前に小山くんが来たときのことは今でも覚えています。
私が小山慶一郎くんの担当になった瞬間です。
次の日、私は初めてたったひとりでジャニショに向かいました。コンサート翌日の混雑したジャニショに並んでいると、お姉さん二人組が声をかけてくれました。誰のファンなのか聞かれて小山慶一郎くんと答えたとき、なんだかすごく恥ずかしかったです。
そしてこの時に言われた「こんなに若い子がNEWSのこと好きでいてくれたらNEWSは将来安心だね」という言葉を忘れられません。あのとき声をかけてくれたお姉さん達は、今もNEWSのことが好きなのかなぁ…とたまに思い出します。
初めて「小山くんが好き」と声に出した日に買った写真は、数枚の増田さんと1枚の小山くんでした。どうしても母に言えなくて、この小山くんは衣装が好きだったから買ったんだ、と話したことを覚えています。


次に小山くんの姿をみることができたのは、【チャリティ野球大会】でした。15歳の誕生日、それは初めての遠征でした。好きになって初めて見る小山くんはキラキラの衣装を着ているわけでも、たくさん歌うわけでもなかったけれど、NEWSの小山慶一郎がそこに存在していることがひたすら嬉しかったです。
結局、コンサートにいけたのはそれからさらに1年たった2012年の夏、【美しい恋にするよ】です。
私は高校生になっていて、FCで外れた代わりに一般販売で奇跡的に取れたチケットを握りしめてマリンメッセ福岡に向かいました。
1番後ろから2列目の端の席で、ようやく小山くんの団扇を持つことができました。オープニングから泣いてしまったのはNEWSへの気持ちだけではなく、やっとコンサートに来れたという喜びの涙でもありました。アンコールのスタトロで目の前にきた小山くんが私の団扇に気付いてくれたとき、何の曲を歌っていたのか全く思い出すことができません。我に返ったとき既に小山くんは遠くに移動していて、私の左手にはサインボールがありました。
コンサートが終わった後、周りの方々が「よかったね」「団扇みて投げてくれていたよ」と言ってくれて、NEWSファンの優しさを実感しました。
その後は神戸と、神戸の次の日にはチャンカパーナのイベントにも参加しました。
会いに行けるだけ会いに行く。そう決めたのもこの頃からです。

そしてこの年、小山くんは舞台をしました。私が今でも再演してほしいと思っている【ハロー、グッドバイ】です。東京千秋楽翌日の朝、空港からそのまま高校にいったのもいい思い出です。もともと舞台をみることが好きだったので、大好きな人が舞台に立つことの喜びを知りました。
安吾くんがやってくれたtwitterには毎回リプを送っていました。グラタンがコロッケになったバーガーも食べたし、夜はおやすみのつぶやきを待ってから寝る生活でした。

2013年のツアーでは福岡と神戸に加えて名古屋にも行きました。
10周年の東京ドームの日、期末テスト2日前だった私は朝5時半にホテルの窓からみたグッズ列に驚いて、6時間近くテスト勉強をしながら列に並びました。前にいた方が、疲れちゃうから一緒に座っていいよとレジャーシートを使わせてくれました。
4人が愛言葉を歌ったとき、この会場の暖かさはNEWSにしか作り出せない空間だと思いました。

2014年、高校3年生の年、NEWSはコンサートをしませんでした。だけどそれは私にとって好都合でした。大学受験があったからです。中学1年生のときからぼんやりと思い描いていた「大学生になりたい」「小山くんの後輩になりたい」という思いを実現させるための時がやってきました。
受験が終わった日の夜、きっと小山くんの後輩にはなれないから大学に行く意味はないと、泣きながらホテルで専門学校を調べていました。
2015年の4月、私は東京で一人暮らしを始めました。12年前に小山くんがいた場所と同じ場所で、入学式に参加しました。
この年はきっと、私にとって最高の1年でした。

2015年といえば、みんな大好き【white】の年です。NEVERLAND、EPCOTIA、次はwhiteの再演だと思っています。
私は健康診断を抜け出して仙台に行きました。ずっと九州で過ごしてきた私にとって初めての東北遠征です。席は初めてのアリーナ。しかも最前。世の中にはこんな景色が存在するのかと衝撃を受けました。
その後行った城ホも初めてで、東京という土地の遠征のしやすさにひたすら感動していました。やっぱり東京はすごい場所だと。

whiteが終わってからはまともな生活を送ることに必死で、少しだけNEWSと距離を置いていました。このとき発売したチュムチュムの初回Bを買わなかった自分を今でも悔やんでいます。
もしかしたらこのまま、小山くんのことが好きだという気持ちはどこかに消えるのではないか。そんなことをぼんやりと考えていたときです。舞台【グレート·ネイチャー】が決まりました。
ハログぶりの舞台。私は東京に住んでいることに舞い上がって、いつ行こうかと授業中も公演スケジュールを眺めて過ごしました。
結果は全滅。あのときは4公演も入れたのに。ハログのことを思い出したものの、当日券に並べることに気付いた私は授業終わり毎日のようにグローブ座に通いました。
いつものように大きな番号をひいて家に帰ろうとしたある日、突然声をかけられました。女神様だと思いました。一緒に入るはずだった知人が体調不良で来られなくなったから1枚余っていると。席に着くと、半券は思い出にとっておいてねと言ってくれました。
優しさに包まれながらみた舞台は特別でした。何度お礼を言っても足りないと思いました。
それでも人間は欲深いもので、観劇できたというのにもう一度みたくなって、当日券に並びました。自分の目の前で終わった日もありました。
これで最後にしようと思った日、開演3分前に私は会場内を走りました。席につくとそこは前回「あの席に座る人は前世でどんな徳を積んだのだろう」と思った席でした。舞台が終わって、私は小山くんを応援することでたくさんの幸せをもらっている。ファンをやめることなんてできない。そんなことを考えながら、家に帰って久しぶりに実家から持ってきたDIAMONDのDVDを見ました。やっぱり、小山くんのことが大好きでした。

whiteのDVDが発売した2016年、大学の友達がNEWSファンになってくれました。ソファ落ち加藤担の誕生です。まさか一緒に遠征するほどNEWSのことを大好きになってくれるなんて、この時は思っていませんでした。【QUARTETTO】はそんな加藤担のために必死で探した東京ドームの思い出も大きいですが、この年私は20歳になりました。
ツアー日程が発表された日、20歳の誕生日にNEWSが広島でコンサートをすることに気付いて、それだけで泣きそうになりました。当日は、朝から福岡で予約していた成人式の前撮りをして、大急ぎで新幹線に乗りました。雨が降る中、何度も転びそうになりながら会場に入りました。オープニングには間に合わなかったけれど、あの日聞いたHAPPY BIRTHDAYは今までの誕生日で1番の思い出です。

そしてその翌年2017年、NEWSで始まった私の20歳の1年は、和歌山でNEWSと過ごして終わりました。突然きた制作開放席の案内。当選メールがきたのは授業中でした。友達の背中に隠ながら新幹線の時間を調べて、その日のうちに大阪の友人の家に行きました。
メンバーが横一列に並ぶと手前の人しか見えないくらい端っこの席は特別でした。
仙台では友達と遠征することの楽しさを思い出して、ごはんもとっても美味しく感じました。もともと東北が好きな私は、すっかり仙台が大好きな場所になりました。
オーラスに入れなかったのは悲しかったけれど、友達と駅に向かっているときにファンの歌声が聞こえてきて、とっても幸せな気持ちになりました。

あっという間に私は大学4年生になりました。就職活動が始まっていたので遠征は我慢しました。毎週末「この予定ならコンサートに行けたのに」と思いながらESを書いている時間が1番辛かったです。
埼玉までに就活を終えるという目標は達成できなかったけれど、受験のときと同じようにNEWSをモチベにしました。
味スタが発表されたことでNEWSが応援してくれているような気持ちになって、第一志望の会社に落とされてもURを聞いて乗り越えました。
入社を決めた会社の最終面接の日、味スタの当落が発表されました。面接会場に向かう直前にメールがきたので、結果を見ずに面接に挑みました。それは英断でした。
味スタに入れないかもしれない、NEWSの15周年をお祝いできないかもしれないと思っていたけれど、やっぱりファンの方が救ってくれました。2日間とも入って、NEWSの15周年を味スタでお祝いすることができました。
オープニング映像のケーキ、一曲目のBLUE、小山くんのメッセージ。その全てを自分で見て聞いて感じることができて本当によかったです。

15周年はすごいもので、味スタが終わったら来年かな、なんて話していたら次の月にドリフェス出演のお知らせをもらいました。
友達がチケットを当ててくれて、私は幕張メッセにも行くことができました。
NEWSが出てくるまでの時間にたくさんのアーティストをみたからかテンションはすごく高くて、NEWSが出てきた瞬間最高潮に達しました。
NEWSのファンではない方もいるはずなのに、コンサートで感じる空気と同じものを感じて、改めてNEWSの強さはこれだと思いました。
味スタでも聞いたはずのに、BLUEも「生きろ」もなんだか他の歌みたいに思えて、自分の中にあった支えが取れたような気持ちになりました。

そして今、【EPCOTIA ENCORE】を控えてこのブログを書いています。
EPCOTIA、Strawberry、ドリフェス。なんて幸せな15周年だったのだろうと思っていたのに、NEWSはまたデートの予定を伝えに来ました。しかも大晦日、年越し。もしNEWSが大阪でカウントダウンやってくれたらどうする?と言いながら予約したホテルをキャンセルせずに済むなんて。NEWSとNEWSのことが好きな人達だけで年を越せるなんて。どこまでファンを幸せにすれば気が済むんだろうとすら思い始めました。みんなが元気で京セラドームと東京ドームに行けますように。最近はそればかり考えています。

そしてそんな年の瀬に、私は小山くんを好きになって10年経ちました。
10年前の今日、まさかこんなに長く小山くんを好きでい続けるなんて想像していなかったです。
小山くんが好きという気持ちだけで大学受験も就職活動も乗り越えられるなんて誰が思ったでしょう。
楽しかった思い出だけじゃないのは当然そうだけど、どんなときでも小山くんは幸せをくれました。今だってそうです。アイドルを続けてくれています。
私は深いことを何も考えられないので、いつだって「小山くんかっこいいな、好きだな」という気持ちだけで過ごしています。それでいいんだと思っています。10年間、それだけで過ごしてきた私にとって、今更何か深いことを考えることなんてできません。それが私の応援の仕方です。

10年前、派手な髪色で襟足をのばして「ちゃらい」と言われていた24歳の小山くんを好きになったのは、世の中のことなんて何も知らないような12歳の小学生でした。
そして10年経った2018年の今。もうすぐ社会人になる22歳の私はあの時と同じように小山くんのことが好きです。
アイドルの見方も、曲の聞き方も、コンサートの楽しみ方も変わったけれど、小山くんのことが好きという気持ちだけは10年間変わりませんでした。
小山慶一郎くんを応援し続けた10年間は、私の学生生活の全てです。
ずっとNEWSの小山慶一郎でいてくれてありがとう。
小山慶一郎くんがアイドルでいてくれたから、私の人生は素晴らしいものになっています。

これからも、応援させてね。

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